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最高裁判所第三小法廷 昭和35年(オ)1002号 判決

上告人 中村進(仮名) 他二名

被上告人 中村民子(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人山中康雄の上告理由第一点について。

論旨は、原判決の認定事実によれば、被上告人と上告人進との間に協議離婚が成立したことになる。そうだとすれば、財産分与の問題は発生するにしても、内縁不当破棄による損害賠償の問題が発生する余地はない筈である。それにもかかわらず原判決が被上告人の請求を認めたのは、法律の解釈を誤つた違法があると主張する。

しかし、原判決は、上告人らが内縁関係解消の申入れをし、もつてこれを破棄した事実を認定しているのであるから、これによつて発生した上告人らの責任は、のちに被上告人が右申入れにやむなく応じたとしても、これによつて消長を来すものではないと解すべきである。また個々の行為が、たとえそれ自体として不法行為を構成するに足らなくとも、当該行為の結果内縁解消のやむなきに至らしめた行為者は、不法行為の責任を負うべきである。所論は独自の見解に基づき、原判決の違法を主張するものであつて、採用しえない。

同第二、三点について。

論旨は、慰藉料五〇万円は過大に失し、この点に関する原判決の認定には経験則違背、法律上の判断を誤つた違法がある、と主張する。しかし、原判決認定の事実関係に照らせば、原審が上告人らに金五〇万円の慰藉料支払義務を認めたことは相当であつて、その間に経験則違背、法律上の判断の誤は認められない。所論は排斥を免れない。

同第四点について。

論旨は、原審が、被告保、同シズコに於て被告進の内縁不当破棄に共同加工したと認めたのは、経験則違背かさもなければ法律上の判断を誤つた違法がある、と主張する。しかし、原判決認定の事実によれば、原審が、本件内縁不当破棄に上告人ら三名が共同加工したものと認めたことを肯認しうる。従つて、原判決が民法七一九条を適用して、上告人ら三名に対し慰藉料の連帯支払を命じたことは相当である。所論は独自の見解に基づいて原判決の違法を主張するものであつて、採用しえない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 石坂修一 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊)

上告代理人山中康雄の上告理由

第一点(上告人保、同シズコ、同進に共通の上告理由)

原判決は「6然るに被告進は始めから右約束(両親との別居のことである-弁護人)を実行する意思がなかつたので、これを実行しなかつたのみならず、翌三一年四月上旬頃、媒酌人佐野知之を介し、「両親と絶縁してまで原告と婚姻することはできない。この際原告と離別したい。」旨申し入れ、一両日して被告保、同シズコからも同媒酌人を通じ原告が(イ)経済観念に乏しいこと(ロ)身体が虚弱であること(ハ)被告等の家族に融和せず、長男の嫁として不適当であることを理由として原告と被告進との内縁関係を解消する旨の申し入れがあつたこと、

7右申し入れに対し原告の両親はその理由とするところは到底納得できなかつた。しかし被告進が結婚に対する正しい信念に欠けていると思われること、原告が当時三度目の妊娠中(二度目は昭和三一年一月二四日不完全流産となり手術)ではあつたが、相次ぐ手術と妊娠、被告等の冷遇のため心身とも疲労しきつていた等の事情から考えて、最早本件内縁関係は収拾し難い破綻を来したものと見て原告を実家に連れ帰つた上これを納得させ、その後同年五月上旬原告所有の財産を被告方から引揚げ、以て本件内縁関係の解消を見るに至つたこと、

を認めることができる」とした。

右判決のいうとおりだとすれば

(イ) 本件では、上告人進の離婚の申出にたいし、たとえ被上告人がわはその理由を納得しがたかつたにせよ、とにかくこれを承諾したのであるから、内縁婚についての協議離婚が成立したとみとむべきであり、とくに、被上告人の一、二審での供述によつても、被上告人は、上告人進との二人だけのことを考えれば、離婚せねばならぬほどの事情は何一つなかつたもののごとくであり、ただ上告人進の両親たる上告人保と同シズコからそのようにしむけられたと考えていることは明白であるのだから、なおさら内縁婚の当事者たる上告人進と被上告人とのあいだでは、協議離婚の成立をみとむべきである。したがつて本件では内縁婚の不当破毀の問題が生ずる余地はなかつたとせねばならない。かくて本件についての正しい法的処理は、本件では、上告人進と被上告人の内縁婚について原判決認定の如くんば、上告人進より申入れ、被上告人もこれを承諾して協議離婚が成立し、嫁入荷物の返還もすんでいるのであるから、右離婚については当事者双方なつとくしているのであり、右離婚によつて婚姻関係が不当に破毀されたという問題すなわち内縁婚の不当破棄という問題はもはや生じない。原判決は、この点、右協議離婚の成立をめぐる事情につき、法律上の判断をあやまり、内縁婚の不当破毀なりとしたのは、法律の解釈を誤つた違法があるか、審理不尽の違法がある。

(ロ) 内縁婚につき協議離婚が成立した場合離婚当事者間の財産法的関係は如何に処理さるべきかといえば、けだし内縁婚には、ゆるすかぎり民法の婚姻に関する規定を準用すべきものであるから、法律婚にかんする法理にのつとつて考えねばならない。ところで法律婚につき協議離婚が成立した場合には第七六八条(財産分与の規定)により、財産分与の問題として、処理さるべきである。すなわち上告人進と被上告人との間での財産関係の清算(被上告人が婚姻にあたり持参した財産の返還は被上告人自身上告人宅をおとずれてこれをうけすでにすんだ)、離婚後ある期間内の被上告人の生活の扶養(職業その他生活条件の点で今日の社会には男女間に相当な差があるので、原則として、夫たりしものに離婚後もある程度のこの責任をみとむべきである、その際ことを協議離婚にいたらざるをえざらしめたことにつき、夫たりし者に責がある場合には、その額の認定につきこれを参酌すべく、もし妻たりし者に責がある場合にはその責任の有無及び程度につきこれを参酌すべきである)の問題として、処理さるべきことになる。これと別個に、不当離婚として、損害賠償の請求の問題を生ずる余地は、原則として存在しない。

例外の第一は、当事者または第三者の詐欺強迫にもとづく協議離婚の場合である。この場合には、詐欺強迫ということによつて、離婚そのものにつき不法行為たる性格をおびることがある。

例外の第二は、たとえば夫たりし者のぎやくたいや悪意の遺棄等のことによつて、妻たりし者が泣く泣く協議離婚に応じたというごとき場合であり、かかる場合には右の虐待や悪意の遺棄が、それじしん独立して不法行為となりうる場合にのみ、その後協議離婚があると否とにかかわりなく、不法行為が成立し、それによる慰藉料賠償請求がなされうる。また、しかしそれは婚姻関係の不当破毀の問題でなく、あくまで不法行為の問題(本件は、これを請求原因とするものではない)である。しかし右より一歩すすんで当事者または第三者が婚姻関係を破綻せしめる目的をもつて、虐待をし、右虐待の結果相当因果関係をもつて、婚姻関係のとりかえしつかぬほどの破綻という結果が発生した場合には、右離婚につき不法行為責任が生じうる。そして右の法理は、内縁婚につき協議離婚が成立した場合にも、あてはまる。

原判決は、本件内縁婚の協議離婚につき、強迫または、虐待のいずれによる被上告人のおいだしをみとめて不当破棄なりとしたのであろうか。原判決はそのいずれであるかを明白にしていない。理由不備の違法がある。のみならず、原判決が後記引用のところにあげている虐待について、それが被上告人をおいだす目的をもつてなされ、またそれと相当因果関係において本件内縁婚の破綻の結果を生じたという点については、まつたく証拠がない。この点、上告人保と上告人シズコにつき、慰藉料賠償義務をみとめた原判決は証拠にもとずかずして判断した違法がある。また右いずれの場合にも、上告人進には強迫、虐待ということはこれをみとむべき証拠がまつたくないようであるから、上告人進については、本件内縁婚の協議離婚につき、けだし上告人進については離婚せねばならぬほどの事情がないことは被上告人の一、二審での供述によつて明白であり、しかも本件離婚につき被上告人は承諾したのである以上、不当離婚ということはなりたちえず、したがつてその離婚にかんしての違法性をみとめて慰藉料賠償請求をみとむべき根拠はまつたくないことになる。この点上告人進に慰藉料賠償義務をみとめ、かつ、上告人保と同シズコにこれと連帯しての賠償義務をみとめた原判決には証拠によらずして判断し、または理由不備の判断をした違法がある。

第二点(上告人三名に共通の上告理由)

かりに本件が、内縁婚の不当破毀だとしても、原判決が上告人がわの有責事由をいろいろあげ、被上告人についての有責事由をまつたく否定して五拾万円の慰藉料の賠償義務をみとめたのは不当であり、過大に失する。夫婦関係の破綻は、一方だけがよくて他方だけが悪いということはなく、当事者双方がともに責任をおわねばならぬことが普通である。極端な場合、たとえば、妻に不貞の行為があつたというような場合でさえ、妻をしてそのことにいたらしめた事情には、夫にも責任のあるということすら、ありうる。まして本件はそのような極端な場合ではない。上告人進と被上告人の結婚は、上告人進の父母(上告人保、同シズコ)は、もともと反対であつたが、しかしことは当人同志の自由意思にゆだねるべきだというところから、承諾し、その内縁婚の成立にはずいぶんと意をつかい、立派な仲人をたて、結納も世間にはずかしくない相当のものをかわし仕度もし、とくに新夫婦だけの家を長男の嫁なるが故に、できるだけ近くにおいて仲善くするために、その邸のおなじ敷地内に新築し、立派に式をあげ、披露もした。それほどにもして成立した結婚であるにもかかわらず、被上告人が、ついに、夫たる上告人進に愛されぬ妻であり、夫の両親上告人保、同シズコに気にいられぬ嫁であり、夫の弟妹全部からもきらわれとおしたということについては、理由がなくてはならぬはずであり、また実際そうした理由があつたのであることは上告人三名の一、二審での本人訊問の結果によつても、よく知られうる。

それは、(A)被上告人が本件訴にあたり、その弁護人に夫の学校をあやまり伝え(相手の学歴がどうであるかということは、普通、女が結婚しようかしまいかの判断をするにあたつての重大考慮事項なのだから、ふつうの常識や知能のていどの人間ならば結婚前の調査で十分しつていなければならないはずのことである)。一家、上告人保の病が直腸ガンだとわかるまでのあいだ、およびその手術の前後および手術予後でも再発をおそれて憂慮にひたつていた、その病名を誤り伝え(しうとの病気を本気になつて心配した情のある嫁ならこのような大事なことをまちがえるはずがない)て訴状に間違つて記載せしめるような頭のわるい気のきかぬ人間であり、(B)うけこたえに鼻の先でフフンと笑う悪癖があり(本人に悪意はないのだろうが、結婚初夜、夫として今後よろしくたのむとあらたまつてあいさつした夫たる上告人進にたいし、フフンと鼻の先で笑つてみせ、その心にふかい傷あとをのこした)、(男というものは、こういうあいさつをするのは、本当にてれくさくはずかしいものであるが、上告人進は、初婚に破れていろいろ考えていたときであり、それをおしてまじめに厳粛に右のあいさつをした。このようなとき鼻のさきでフフンと笑われたとき、たとえそれが悪意でないとわかつていても、どんなに男は、ひつこみのつかぬはずかしい冷汗三斗の思をすることか、御省察を乞いたい)。(C)ガが強く自分のしたいことは何でも自分の流儀をおしとおし(すしをつくるとき、上告人シヅコの感情を害したのもそれが原因であつた)、上告人一家の人たちと協調しようとせず、またはたの人たちの気持を察しないところがあり(すしの事件のときも、被上告人の答のしかたが、ひどく上告人シズコの心を傷つけたのである。だから被上告人は、上告人一家の虐待をうけてひどく小さくなつていたようにいうが、しかし毎週一回かかさず神戸の美容院にかよう等、従前のゼイタクな自己の生活のペースを守つていたし、自由きままに始終出あるき、実家にも非常にしばしば帰つていた)。(D)家事のしまりがなくやりつぱなし(買つてきた物のつつみもとかずめざわりなところに一週間も放置する等)であり、(E)気にいらぬことがあると夫にも直接いわず、すぐ仲人佐野のところにゆき訴えて、仲人佐野が上告人保の経営する会社の大顧客たる国鉄の相当上級の社員であつたところから、それを笠にきて、仲人に云うてもらう(こういうとき夫や両親はどんなはずかしい思をするかは、まつたく察しようとしない)というやりかたをし、(F)結婚のとき、たまたま夫の妹が離婚して戻つて来て、一家悲しみに沈んでいる際も思いやりのある態度をとらず、弟妹には兄嫁としてえらそうな口をきき、ひどく反撥の気をおこさせたこと(学生であつた夫の次弟には兄上告人進よりいつも小遣があたえられていたのを、次弟が催促したとき、被上告人がよこからひきとつて、私がもらつておいて、私からあげるといつたが、そのさい、そのいいかたやそぶりに次弟がひどく反撥したごとき)、またとくに上告人進にとつては前記(B)のことのほか、五月六日に結婚し、六月末日にははやくも妊娠三ヵ月とうちあけられて、それがあまりに早すぎることと、結婚初夜、被上告人の性行為があまりに上手であつて上告人進をしていたく驚かせたこと等から被上告人の結婚前の貞操に疑念をもち(被上告人の母山本マツノの一審での証言(最初の妊娠のことにつき)「新婚旅行をしてから間もなくでございましたね、十五、六日頃帰つてまいりまして、体がちよつとおかしいとかいうことを言つておりましたんでございますけれども」というのを聞いても、五月六日が結婚式であることよりすれば、そんな早く妊娠異常が本人に自覚されるものだろうかとの疑問を禁じえない)、しかも、それがついに解決しえなかつたこと、また被上告人は本当に夫である自分を愛しているのだろうかという疑念がつねにさらず、すなわち前記(B)の事件でその疑をもつたばかりでなく、その後も、自分を本当に愛してくれるのなら、もつと両親や弟妹ととけこんでくれるはずなのに、その努力もせず、何事にも自分流儀でおしとおして我をはり、何か気にいらぬことがあれば、夫たる自分にもいわず、すぐ仲人の佐野にいいつけ、佐野をして夫にいわしめ同人に叱つてもらうというしかたをつづけ、ついに右疑念も完全に解消できず、むしろ自分は愛され信頼されていないという不満をもつたこと、等々のことである。もつともそれでは、右(A)以下のことを構成する個々の具体的な事情にはどんなことがあつたかときかれれば、上告人たちも何からいつてよいやらすぐには答え得ないし、またまた上告人等が一つ一つ思い出して供述したことはおそらく第三者の耳には非常につまらぬことのように思えることしか云えない。しかしそのようなつまらぬことでもじつは四、六時中顔につき合せて生活する者にとつては、たえがたいと思われることがあるものである。そんな些細なことでとかんたんにかたずけさることができぬところに、人情の機微にそくする離婚にかんするむずかしい問題があるわけである。それはともかくとして

婚姻関係の破綻には双方が責任をおわねばならぬというのが一般であるのだが、原判決は被上告人がよい妻、よい嫁、よい兄嫁となろうとせず、みんなととけこもうとしなかつたという上告人三名のそれぞれの前記(A)以下のことについての供述を頭から措信せずとして、まるで被上告人にはまつたく落度がなかつたかのごとくに認定し、また本件はそれなるが故によけい理由なき不当破毀だとして五拾万円という多額の慰藉料賠償義務を上告人三名に認めた。これは経験則違背の事実認定であるばかりでなく、本件が、はたして五拾万円に相当する慰藉料賠償義務を肯定しうるかどうかについての法律上の判断を誤つたものといわねばならない。ちなみに、原判決は上告人保と同シヅコにつき、のちに述べるように原判決の2ないし7の事実から右上告人両名が上告人進の不当破毀に共同加工したと推定したが、もしもそのような推定がこの場合ゆるされるのなら、また、上告人等のこれらの供述にもとづいて被上告人にもよい妻、よい嫁、よい兄嫁になる努力がたりなかつたという事実もまた推定すべきであつたと思われ、もし原判決がそうしたならば、とても参拾万円だの五拾万円だのという高額の慰藉料賠償請求をみとめられるということはなかつと思う。この点にも、経験則違法、法律上の判断の誤まりの違法がある。

第三点(上告人三名に共通の上告理由)

原判決は五拾万円の慰藉料を算定する根拠として、いろいろの事情を考慮しているが、そのうち、上告人進が「昭和二七年二月最初の結婚をしたが僅か四ヶ月で離婚し、現在他の女と婚姻していること」という事情を、慰藉料算定の基礎としており、しかも一審判決と二審判決とを対比してみると、参拾万円の慰藉料を肯定した一審判決にはこの事情はあげてなく、その他の算定事情は両判決に共通であるので、この事情だけがつけくわえられた結果、一審判決の参拾万円の慰藉料が一挙に五拾万円と増額算定されたかたちとなつている。この点、原判決には、つぎの違法がある。

(イ) 右初婚は、被上告人との婚姻前のことであり、しかも右初婚に破れた男であることを知つて被上告人は嫁してきたものであることは証拠上明白だが、それがいまさらどんな精神的苦痛を被上告人にあたえたというのだろうか。また現在の結婚は、被上告人との協議離婚が成立し、荷物も引取られ、被上告人より本件訴を提起せられたのちのことである。そんな上告人進の結婚で、被上告人はどんな精神的苦痛をうけたというのか。またこれらのことは、かりに本件が内縁婚の不当破毀だとしても、それとまつたく無関係のことであり、上告人進にたいし慰藉料請求を肯定さるべき被上告人の精神的苦痛だとはとうていみとめることはできない。まして上告人保と同シヅコにたいする関係では、なおさら無関係のことである。原判決には、この点で、経験則違背の誤謬をおかし、

慰藉料額算定の法律上の判断を誤つた違法がある。

(ロ) あるいは、原判決が右の事情をあげた意味は、上告人進が、初婚を約四箇月で解消し、しかも被上告人との再婚でいくばくもなく本件離婚をなし、しかも今日三度目の婚姻をしているということと、および、最初の妊娠のとき上告人進が人工中絶を強く望みまたそうさせたこと等によつて、上告人進が、婚姻ということについてひどく不真面目な考えかたをもつているとされ、それで一審の参拾万円の慰藉料が五拾万円にはねあがるほど原審の心証を害したのかとも考えられる。しかし初婚については、上告人進は、初婚の女のことについていま何事をもいいたがらない。本件の本人訊問のさいでもそうであつた。離婚した女をいまさら傷つけるようなことは何もいいたくないし、またそうすることは自分の心を傷つけることにもなる、そのような古い心の傷あとにはふれたくない、たとえそのために、どんなに悪く想像を自分がされようとも、それはしかたがない、上告人進の気持はこのようなものであろう-ふつうの男ならだれでもそうであろう-と推察するが、事情を知らぬ弁護人はこの初婚のことについては何も述べえない。しかし人工中絶のことについては、すでに初夜の時より上告人進は、はじめ一年間ぐらいは子供は生むまいと話したことであるし、ことに被上告人より妊娠三ヶ月と聞いたとき、前記のごとく、いたく被上告人の結婚前の貞操に疑念をもつために、なおさら、その子がほしくなかつたわけである。だから、これをもつて上告人進が、結婚について不真面目な考えをもつていたと断定するのは、早すぎるのである。

そして、かりに上告人進が結婚につき不真面目な考えをもつていたことが、右によつてみとめうるとしてもそれを理由に原判決が、慰藉料額をことさら一審より増額して認定したのだとすれば、右慰藉料をもつて、一種の私罰とみるものであり、民刑責任の分化された今日、とるべからざる法的見解と思う。上告人進の結婚観のいかんにかかわらず、その所業が被上告人にあたえた精神的苦痛によつて慰藉料賠償額は算定さるべきである。まして、上告人保と同シヅコは、上告人保は、当時病で入院中で人工中絶のことはまつたく知らず、上告人シヅコまた、当時上告人保が胃炎をおこすとか、方々に身体の異変を訴えて、面会謝絶のことも数度、原因をたしかめるために(のちガンと判明)心配していたさなかのこととて右人工中絶には無関係なのだから、この点で、上告人進と連帯して賠償義務をおわされるべき理由はない。原判決が、かかる見解をとつたものだとすれば、法律上の判断を誤つた違法があるわけである。

第四点(上告人保、同シヅコに共通の上告理由)

原判決は、(A)上告人進と被上告人間の内縁婚が離婚となるにいたつた事情につき、原判決に2より6までとして記載された事実を指摘して「2然るに被告シヅコは気性の激しい人柄の上に、原告と被告進が新婚旅行から帰る前日頃、その三女良子が他から離婚して帰つて来た不幸もあつて、原告に対し最初からいわゆる姑の嫁に対する冷たい態度をとり、原告等が新婚旅行から帰宅して間もない頃、被告等家族と夕食中の原告の面前で、被告保に向い、原告の本籍が愛媛県であるところから、「よく嫌いな愛媛県人を嫁に貰いなさつたね。」と言つて原告を嫁に迎えたことを公然と非難し、又その後、原告夫婦の留守中その居室に立ち入り原告の衣服を引裂き、人形を毀し、電気スタンドのコードを引きちぎり、ガス栓を解放するなどの暴挙を働いたことがあつたほか、些細なことに立腹して原告の足許にリンゴを投げつけたりして、原告に対する侮辱的、排斥的な言動が多かつたところ、一家の主婦たる被告シヅコが右の如くであるため自然被告等家族の原告に対する態度も右に習い被告進の弟妹は原告を呼びすてにし、原告の入浴は女中よりも後にさせ、それすらも母屋の出入口に鍵をかけて別棟にいる原告の入浴をできなくするなど、結婚当初からその家庭内に原告を暖かく迎え入れる空気が欠けていたこと。

3被告保は当初原告に好意的であつたが被告シズコの右の態度に影響されたのみならず、昭和三〇年夏頃病を得て入院中自己の経営にかかる個人会社の運営を原告の実父に依頼したところ、原告の父が被告保の希望どおりに事を運ばなかつたことがあつたところから、同人に対し消し難い感情の疎隔を来し、ひいては原告をも快からず思うにいたり、同年暮退院した頃には原告と被告進との婚姻の成立を喜ばない態度に変つて来だこと、」(4、5は上告人両名に関係がないので省略。6は上告理由第一点の冒頭に引用したのでそれにゆずる。7も省略する。)とし、(B)「以上の事実に徴すれば、被告シヅコは故なく原告を嫌悪していたところ、被告保は前記原告の実父との関係から退院後これに同調するに至り、ここに右両名が被告進に対し原告との本件内縁関係の解消を勧めたのに対し、被告進は自己が未だ経済的に父母に依存している身であり、且つ原告が前記手術以後病弱となり、いつまでも家族との間がしつくりいかないことを考え、両親の言に動かされて原告との内縁関係を解消することを決意し、何等正当な理由がないのに原告との婚姻の意思を放棄し以て本件内縁関係を不当に破毀したものと推定することができる。」とし、更に「以上の次第で被告等は共同して被告進の原告に対する内縁関係の不当破毀に加工したものである」とした。

右2以下の虐待の事実認定については、上告人両名としてはすこぶる心外なものがある。しかしこれらの点についての上告人三名の本人訊問の結果は、すべて措信せずとされたのだから、いたしかたない。しかし2にかかれた上告人シヅコの暴挙につき、もしそれが事実であつたなら、すくなくとも本件訴の提起のときまでぐらいは、右の破られた羽織等々のどれか一つぐらい残つていたであろうから、ぜひそれを証拠として出してほしかつたと思つている。風呂にいれてくれぬので、ことさら実家に風呂にいれてもらうためにしばしば帰つていたという被上告人の供述も、当時自由きままに実家に始終帰つていた被上告人がそのたびに風呂に入つて帰つたのを、いまになつてそのように悪くいつているのである。「母屋の出入口に鍵をかけて別棟にいる原告の入浴をできなくするなど」とあるが、別棟に被上告人夫婦が住むようになつたのちは、別棟に風呂があり、それに入つていたのである。しかし、いまは、これをいうても仕方がないから、やめる。

しかし、右判決については、つぎの点が問題となる。すなわち内縁婚といえとも、結婚し離婚するということは、それは当事者たる上告人進と被上告人の問題であつて、上告人保、同シヅコ(以下上告人両名と略称)は第三者である。だから上告人両名が右の離婚について上告人進の共同不法行為者として慰藉料賠償義務をおうことをみとめられるためには、原判決のいうごとく、上告人進の原判決にいう内縁婚の不当破毀につき共同加工したということがなければならない。

しかるに前記引用の原判決の2ところに摘示の事実からは、被上告人が上告人両名にとり気にいらぬ息子の嫁であり、それで2にあるごとく上告人シヅコがかんしやくをおこしたことがある、という事実はひきだすことができるが、しかし上告人両名が上告人進の内縁婚の不当破毀に共同加工したという事実、すなわち被上告人を追出すという意図をもつてそのようなことをし、かつ成功したという事実まではひきだすことはできないはずである。ところがそれをあえてしたのが一審判決であつた。審理不尽の違法をおかしたものといえよう。しかるに原判決は、この点を正したが、しかし、右原判決摘示の2、3ないし7の事実から、上告人両名の右共同加工の事実を推定できるという論法でそうしたのであつた。しかし、これまた不当と信ずる。

ひとつのことからある結果を推定するということは、他に別段の事情なきかぎり、右ひとつのことから必然性をもつて特定の結果を肯定できるような場合にのみ許される。そこには、別段の事情なきかぎり、かならずそうなるという高い蓋然性がなければならない。だからたとえば民法一八八条が、占有者は権限にもとづいて占有するものと推定されるとしたのは、すべて物を占有している者は、自分の権原ある物なればこそ占有しているというのが、百パーセンとに近い実状であるということから、生じた原理である。同一八六条またしかり、履行遅滞に債務者の有責性が推定されるという判例理論またしかり。

ところで本件の場合、原判決2ないし7に記載の事実中上告人両名に関する事実摘示から、このような高度の蓋然性をもつて、共同加工の事実を推定しうるであろうか。否。

まず、上告人両名に関する事実とは何であるか。これを原判決からひろつてあげてみよう。

(A) 上告人両名が、夫婦であり、かつ上告人進の実父母であるということ。

(B) 上告人シヅコについては原判決2に、上告人保については、同3に記載のような事実があるということ。

(C) 上告人両名より原判決6に記載のごとく、被上告人方に離婚の正式申入をしたということ。

(D) その申入の内容は、第一点の冒頭に引用した原判決文6のごとく

「両親と絶縁してまで原告と婚姻することはできない、この際原告と離別したい」という趣旨であつたということである。

右以外には、上告人両名に関する、前記推定の基礎となつた事実はない。

(イ) 右(B)の事実すなわち両親が息子の嫁にふだん気にいらぬことが多く、それで始終イライラさせられて、つい不快感を外部にあらわし、ときには母親の方はヒステリイみたいになつたということがかりにあつたとしても、たんにそのことだけで、その後息子夫婦がついに離婚をするようになつたとき、右の両親がこの嫁をおいだすことに一役かい、共同加工したものと当然に推定されてよいであろうか。否である。推定すべく、あまりにもそうでない場合の蓋然性もありすぎる。

(ロ) それでは、右に、息子の離婚のとき、息子と仲人とのあいだで話ができ、そこで両親が正式に申入れをしたという事情がいまひとつ加われば、右の推定を当然なしうるだろうか。否である。

また上告人両名より正式に被上告人かたに正式に申入をしたという原判決認定の事実は、そのことにあたつた仲人佐野知之と証人横井則治の証言にあきらかのごとく、その二、三日前に上告人進と仲人佐野知之とのあいだに離婚の話がまとまり。(媒酌の全部をはこんだ横井則治は、(( 佐野知之は席仲人のみ))一審で「昭和三一年四月に進が離婚したいという話があつたので、私は佐野さんとが、昭和三〇年九月の時と同様に慰留したのですが、進が聞き入れないので、その話は進の父から正式に話あるべきだと申しておきました」と証言している。)、そこで上告人保より席仲人であり、いつも被上告人のために口をきいていた佐野知之へ電話し、ここに原判決にいわゆる上告人両名よりの正式の申出があつた-ただし、これは上告人両名が否定するところである-ということになるわけであるが、しかしそれはあくまで、横井の提言を上告人進より聞いての儀礼上形式上の交渉にすぎず、離婚のことは、すでに話がきまつてしまつていたあとのことにすぎない。すなわち、上告人進と佐野と横井とがあい、上告人進より離婚の申出があり、横井は反対したが、しかし佐野はもうこの結婚は駄目だといい、万事自分がとりはからうといつた。そこで横井は、それにしてもこの申出は、家長たる上告人保からあるべきだといつた。それを聞いた上告人保が電話で、佐野に通じ、一審での佐野証言のごとく佐野の上告人宅えの来訪となつた。そのとき、佐野より「あなたが長男の嫁として、これを出すとしたら、どんな理由があるか」とたずねられ、そこで上告人保は、自分が出すのなら、こういう理由があるといつて、原判決6摘示のような理由をのべ、しかし、これは自分が出すのではない、これは息子(上告人進)の問題で自分は関係しないことだと、はつきり言明したのである。しかしそれはともかくとして、上告人保が、右電話申入をしたのは、上告人進と横井、佐野の話合で離婚のことがきまり、ただかかることは上告人保より正式に申入があるべきだとの横井の意見があつたということを上告人進よりきいたがためにほかならぬ。だから、この事実をもつて、原判決のような推定材料とすることは許されない。

(ハ) 問題は、原判決の6に記載の上告人進より「昭和三一年四月上旬頃、媒酌人佐野知之を介し、「両親(上告人保、同シヅコのこと)と絶縁してまで原告(被上告人のこと)と婚姻することはできない、この際原告と離別したい」旨申入れ」たという事実にかんする。

この点についての証拠は、佐野、横井の証言になく、上告人三名もかかることはまつたくないと考えており、ただわずかに被上告人の母山本マツノが「一緒に出て行け、出て行かなかつたら……出て行つて一緒になつたら、親の縁を切るとか言つたそうでございます、それで進さんは已むを得ずいやじやなかつたんですが、肉親を捨てるか嫁の方の民子を捨てるかで私の方の民子を捨てるとこう申したんです、……それは佐野さんから聞いたんです」と証言しているだけである。

もし右が本当の理由だとすれば、そのことを右山本マツノに伝えた佐野知之が右離婚の理由としてこれを証言していないはずはない。右佐野がかかる趣旨の証言をしていないところをみると、右山本マツノの証言は錯誤にもとずくものと思われる。右証言には、それがいつなされたかということ、あるいは問題の四月九日のことだということについては何もない。また右のような内容のことを上告人進が佐野にいつたとすれば、それは、一審での横井則治の「進の話では、原告は親、弟妹と折合が悪いから、自分としては本人を好きではあるが、親兄弟と別れてまで一緒に生活する程の愛情はないということでした」(ちなみに、右の「親兄弟と別れてまで」というのは「別居」のことであり、絶縁のことではない)という証言のときのことであり、その席には佐野もいたのである(右横井証言は、そのさい堕胎のことで佐野がいわゆる別居等の条件をだしたといつている)、そして佐野が、山本マツノに前記マツノ証言のごときことをいつたとすれば、それは、佐野が前記の横井証言のことをかつて別居等三条件のこととともに山本マツノに伝えたことを、のちになつて錯誤によつて右の言葉を離婚にむすびつけてしまい、かつ「親兄弟と別れてまで」を「親兄弟と絶縁してまで」と悪い意味にほんやくしたのではないかと推測される。また右山本証言の内容の「親の縁をきる」ということで上告人進を強迫したということも、それがまつたくありそうもないことだということは、昔はいざしらず、今は親の縁を切るということは法律上ありえぬことだし、また上告人進をいくら強迫しても離婚せぬからといつて、上告人保の会社の専務取締役たる地位を上告人進より奪つたり、上告人保が建て住わせている家から上告人進を立退かせたり、遺留分を剥奪したり等々のことは、法律上できはしないし、またできるとしても、上告人保はそんなことをするようなけちな人間ではない。したがつて山本証言から、6のごとき、上告人進よりの申入の事実を肯定してはならない。

(ニ) 上告人両名がいくら夫婦だからといつて、上告人保の原判決6記載の申入を上告人両名の申入とみとめることは不当である。

(ホ) とくに上告人保については、前記の推定のゆるす事情として原判決があげた事情は、とくに根拠薄弱である(とくに上告人保についてだけの上告理由の附加)。上告人保は、はじめ非常によいしうとであつたということは、被上告人も供述している。いけなくなつたのはガンを病んで退院後のことだという(被上告人の一、二審での供述)。もつともそれは、被上告人の供述によつても、あいさつしても、横むいて知らぬ顔をしているというだけのことしかないが。そしてその理由は、上告人保が被上告人の父に会社のことをたのんだことでイザコザがおきたからだと思うといい(被上告人の二審での供述)、原判決もそう認定している。だから、この点、上告理由としていまさらとやかくいえないが、しかし本当は、こんなことが理由なのではない、会社のことでなら、じつは上告人保は本当は被上告人の父に怒つてもよいことは、じつさいあつた。病で入院中、上告人進のことで相談相手になつてやつてくれとたのんだのであるが人のいい上告人進をだまして会計から何回にもわけて総計金六拾五万円ひきだしており、上告人進の次弟がそれで上告人進と喧嘩したこともある。当時は、被上告人の実家はまつたく金に窮していたのであつた。被上告人家は芦屋に知名の名望家たる山本家とは別ものであり(山本マツノの証言)被上告人一家は現在芦屋の宅地一、〇〇〇坪居宅七〇坪(事実摘示)には居住していない。しかし上告人保は、息子の嫁の父なるが故に、それを我慢したくらいでそれで、息子の嫁たる被上告人にあたりちらすようなことをするけちな人間ではない。上告人保が退院して不快に思つたのは、自分の入院中ろくに見舞にこなかつた(被上告人の二審での供述では月に一、二回の割でいつたが、上告人シヅコのために上告人保にあわせてもらえなかつたという。長男の嫁で、しかもしろうとのガンという大病に、そんな月一、二回で、はたしてよいものだろうか、ほんらいなら毎日看病に通つてもよいはずである。冷たい性格があらわれている。また本当に被上告人が面会を拒否されたのだとすれば、それは上告人シヅコが策謀したためではなくて、本当に病気悪化のため面会謝絶で、上告人シヅコ以外はすべてあえなかつたときがたびたびあるが、それにかちあつたのである)のに、出あるくだけは始終出あるいて、週に一回はかならず美容院にゆき、実家にもしげしげとゆくのをみて、おやと思つたからであり、そのくせ身体が悪いといつて、家では始終大きな薬箱をかかえて不機嫌に物いわず、なにかと憂欝そうにふるまい、しかも何かといえば仲人の佐野に話をして、仲人佐野-本当の仲人は横井であつたが、上告人保の会社の大顧客たる国鉄で相当の地位にある佐野に席仲人をしてもらつた。しかるに被上告人は、上告人一家には、佐野の方がニラミがきくと思つたか、席仲人にすぎぬ佐野に、ことあるごとにいいつけるようなかたちで相談にいつたのである。-をかさにきてかかり、しかもいつこうに上告人保等中村家にとけこもうと努力もしないでいることについての不満だつたのである。そのうえ、退院早々、家で静養している上告人保は、家のめざわりの場所に買物の包装物が一週間以上ほつてあるのにかんをたてて(直腸ガンの手術で九死に一生を得ての退院直後のこととて、神経はたかぶつている)、これは何だと妻(上告人シヅコ)に聞けば被上告人の買物だという。しかも被上告人があくる一月、一年中で一番値段の高い時期だというのに、しかも、もうすぐ冬も終ろうとしている時期に、つかいきれぬほどの大量の新を、数量をたしかめもしないで購入しているのをみて上告人保をあきれさせる、等々のことがあつたわけである。だから、上告人保が被上告人につらくあたつたとすれば、以上のことの不快感が表にあらわれたことにすぎない。しかし、それだから、被上告人を上告人進に離別させねばならぬなどとは、上告人保は考えたことは一度もない。それはまつたく上告人進がきめるべき事であるというのが、上告人保の考えであつた。だから、結婚後、被上告人の妊娠のことがわかつたころ、上告人保は上告人進より、妊娠三ヵ月というのは結婚後早すぎること、初夜のとき、被上告人の性行為があんまり上手なのにひどくおどろかされたことなどをのべて、被上告人の貞操にたいする疑念となやみをうちあけられたとき、そんなことは私は知らん、お前が解決すべきことじやないかと一喝しておいはらつたことがあつたぐらいである。すべてこれらのことは、上告人保の一、二審の供述にものべられている。それはともかくとして、原判決が上告人保について、原判決摘示2の事実と、6の事実における離別の正式申入をしたということだけから、上告人進のいわゆる内縁婚の不当破毀につき共同加工したと推定したのは、経験則違背か、さもなければ法律上の判断を誤つた違法があるものとせねばならない。

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